はじめまして!
このブログの管理人の「ひきこもり主」と申します。
20代前半から30代前半まで、10年以上の間、自宅ひきこもりしていました。
このブログでは、引きこもっていた頃の回想録や日々考えていること、また、引きこもり脱出についての情報などを書いていこうと思っています。
よろしくお願いします。
*このサイトには、アダルトな話題が入っています。不快に思われる方は、読まないで下さい。
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プロフィール
ひきこもり主のこれまで
こんにちは。
10年以上続いた引きこもりから、なんとか脱出しようともがいている「ひきこもり主」と申します。
1977年生まれです。
それでは、僕が小さな頃から今に至るまでの経緯を書きますね。
小さな頃から大人しく、人見知りするところがあり、自分の意見を表現する事が苦手な子供でした。
保育園に行っていた頃は、お昼寝が嫌いなのと、集団の中にいるのが嫌だったので、
お昼寝の時間になると、お母さんかおばあちゃんが迎えにくるからと、
外に出て、建物の柱に背中をもたれて、いつも迎えが見える道路のほうをずっと見ていました。
先生がおかしをもってきて、中に入ろう?と言っても、
断固として聞かず、迎えがくるもん!と言って動きませんでした。
結局は、部屋にもどって、みんなが寝ている中、
先生達と一緒にお菓子を食べることにしたようです。
学校でも、人前で発言することが極度に苦手で、引っ込み思案でした。(今でもあまり変わっていませんが)
小学生の頃は、好きな教科は図画工作で、家ではプラモデルを作ったり、ミニ四駆にハマっていました。
勉強も運動もそこそこできて、大人しい割に意外と人気者でした。
特定の友達と遊ぶのも好きでしたが、どちらかと言うと、作ったプラモデルなんかで一人で遊んでいるのが、なにより好きだった気がします。
また、幼稚園から中学生まで、特定のいじめっ子から執拗に嫌がらせを受けていました。
仕返しされるのが怖くて、離れることが出来ませんでした。
その人から、大事にしていたシールなどを盗まれたりしても、強く迫ることが出来ずに悔しい思いばかりしていました。
高校生になって、集団からの無視を体験しました。
部活はテニスをしていましたが、ペアになった相手が少し暴力的なタイプで、そこでも、しゃべらない僕は、威圧的な態度を取られたりしても、黙って耐えるしかありませんでした。
部活へのやる気もなくなってきて、後輩からもバカにされ、無視されていました。
人との適度な距離感を保つことに、苦労していました。
それらの経験がキッカケになり、引きこもり性質がより強くなりました。
大学生時代は、人と会うのが怖くて、教室にもろくに入れなくなっていました。
視線恐怖で、前髪で顔を貞子ほどではないけど隠しぎみにしながら、登校していました。
通りすがりの女子に、悲鳴を上げられたこともあります。
女子に陰で失笑されたりもしたことがあります。
未だに、若い女性が複数で座っておしゃべりをしているところを、横切るのが怖いです。
実際、通り過ぎるときに笑われることもあります。(だいぶ減りましたが。人に慣れてきたからかな?)
家に帰ると、どっと疲れる毎日でした。
教室の入口近くまで行っては、入ることが出来ずに、トイレに駆け込み、人気がなくなるまでトイレの個室で本を読んだりして待機していたりしました。
自分の部屋に戻ってからは、自分のあまりの情けなさに涙が止まりませんでした。
次第に、授業に行かなくなり、人と話さなくてよい授業を選択するようになりました。
でも、勉強をする意欲もなく、授業内容についていけず、単位もほとんど取れないでいました。
そんな日々の中、自分の部屋で、引きこもりな自分から抜け出すために、色々な本(自己啓発や占い、太宰治など)を読みあさっていました。
結局、大学では単位を十分に取れず、中退することになりました。
大学で女性と遊びまくったり、積極的で楽しいキャンパスライフを送るという願望は結局叶わず、人間関係での悩みから抜け出そうともがいた数年間でした。
それから10年以上の間、大学で授業も行けるようになり、
バイトしてお金を稼いで、好きなものを自分で買ったり、彼女もできて充実した日々を送れそうな兆しをつかんで、
さぁ、またやり直せるぞ!っていう夢を何度も見ました。
でも、夢の中で目が覚めると、また、寮の部屋から出られない。
食堂での後輩とのやりとりが面倒、授業は上手くやれるのか?など、
不安材料が次から次へと思い浮かび、やっぱりやり直すことなんてできなかった。
そういう、期待と不安と失望の混じった夢を、何度も見ました。
青春の若さからくる、不出来でもなんとなく居心地の良い時間に、
懐しさや未練があったんだと思います。
それから、10年以上の間、自宅の家事(洗濯・風呂の用意・掃除など)・農業手伝いをしながら、自宅引きこもり生活が続きました。
この時くらいから、自分を変えるためにと、呼吸法や夜のジョギングを熱心にするようになりました。
ジョギングは、最初の頃は歩きから始めました。
また、自宅引きこもりをしている間、ネットビジネスを始めました。
外に出れなくても、自宅でお金を稼げるようになれるかもしれないと、すごく可能性を感じて飛び付きました。
2006年に、楽天ブログを始めて、そこでアフィリエイトを始めました。
あまり稼げなかったですが、多いときで、月に3000円ほど利益が出ていました。
それから、HTMLを学んで、サイトアフィリエイトを始めました。
多いときで、10000円くらい稼げていました。
2008年から、プログラミング言語のPHPを学び始め、アマゾンや楽天の商品検索ができるアフィリサイトを作りました。
その時は、月20000円ほどの利益が出ていました。
ですが、2009年 ジョギング中に心室細動という心臓発作になり救急搬送。
10日間の検査入院で、自分の前世を思い出します。
時は、日本の戦国末期。
ポルトガルの宣教師として、ジパング(当時の日本)に真実の旅へと出たのです。
中国から九州に渡るときに、台風に見舞われ、10〜20メートルの高波に襲わる。
船は損壊し、長崎の平戸の海辺に打ち上げられ、現地の医師たちの処置により、呼吸を吹き返しました。
その時、弟は息を吹き返しませんでした。
すごくすごく悲しく、どうしようもない無力感に打ちひしがれました。
以後1年の間、極度の精神不安定になり、PC作業が出来なくなりました。
子供の頃から、不安を伴う幻覚を見る性質がありました。
小学生の頃に、遊園地で父親に無理矢理に乗せられたバイキングの船が、不安になった時?に迫ってくるのです。
もともと、もっと小さな頃から漠然とした不安に悩まされていて、そこにそういう経験が重なり、映像としての恐怖が追加されました。
心臓発作後の不安は、一日中続き、船が常に迫ってきます。
また、低くうなるような音を聞くと、とても不安が増し、どうしようもなくなってくるのです。
飛行機やヘリコプターの音やダンプカーの音などは、聞くとおかしくなりそうになるので、
耳栓をして、その上から手で耳を押さえて、なおかつ、音は空気を伝ってくるので、
空いた指で鼻も押さえて穴を塞ぎます。
それでも、低くうなる音は聞こえてくるのです。
そして、歩いたり体を動かすことで、不安を紛らすことができたので、一日中家の中を歩き回っていました。
足がすごく疲れるのですが、止めることはできません。
一年くらいして、夜のジョギングを再開できるようになるくらいから、
一日中の迫り来る不安状態というのはやわらいできました。
2011年 父親が脳梗塞になり、その後遺症で狂暴な性格になっていき、
朝から酒を浴びるように飲み、朝も夜も見境がつかないほど暴れて、家庭が混乱状態になる。
2012年 父親が母親を責め立て八つ当たりがひどくなり、ついに母親が家を出る。
2012年8月 父親が、母親を引き戻すためのパフォーマンスとして自傷行為を始め、
それを見かねた父親の知り合いの保険師の方が、父親に病院に入るように説得し、一ヶ月の間、父親は入院することになった。
父親は、精神薬などで異常な興奮が落ち着いてきて、同年9月に退院し、家に戻ってきた。
2012年9月〜2013年2月 僕が家の炊事・洗濯・掃除などをするようになりました。それが自炊の訓練にもなりました。
2012年、ジョイントベンチャーをして、ネット上で知り合った人たちと組んで、iPhoneアプリの開発に携わる。
2013年2月 父親の車の免許更新のことでもめて家を出る。
父は脳梗塞になった後も車に乗りたい意志が強く、家族の心配をよそに、車の運転をしていたのだが、一度軽い接触事故を起こし、その時、病人を車に乗せた家族が悪いと、大いに家族を責め立てた経緯があり、僕は免許更新に反対していた。
脳障害の後遺症で、左半身の感覚が鈍くなっていて、左から来る車の存在に気づきにくくなっていました。
父は、車の免許更新に後ろ向きな僕にものすごく怒り狂いました。(もともとキレたらものすごい剣幕で怒ります)
僕はそれに耐えられずに、弟と祖母に家の事を任せて、母の実家に行くことになりました。
弟と祖母は、父親の免許更新にはどちらかというと肯定的で、弟にいたっては、「たとえ病気でも、事故をするかどうかは、乗ってみなければ分からない。」などと言って、免許を取り上げるのはかわいそうだと言う考えで、家の中に僕の味方はいなかったのでした。
もし事故を起こして、それが人身事故だった場合など、大変なことになります。
医者からも、車の運転は控えるように言われていて、それを無視して運転して事故を起こせば、罪は重くなります。
同年6月に、家の事やパソコンの仕事のことで頭が一杯になり、過覚醒という精神状態になり、1ヶ月の間、精神病院に入院。
退院後も迫り来る不安や船の映像も、日常的にやってくるようになっていました。
同年末に、徐々に精神的にも余裕が出てきて、弟のコネでトイレ掃除のパートに就く。
パートに出れるようになった今でも、不安は常にあり、家の中では歩き回ってばかりいます。
母親には迷惑がられますが。。
大学生の頃に、ゴミ収集のアルバイトをしたとき以来の外での仕事です。
午後からの2時間の短時間の仕事で、人との接触も少ないので、できないことはないだろうと思いやってみることにしました。
父親のお金が生活の基盤だった実家の生活から離れ、母親の少ないパートの収入が生活費に当てられるようになっていたため、僕も少しでも収入を得る必要が出てきました。
ネットビジネスでは、あまり稼ぎがなかったというのも理由の一つです。
現在も、パートの仕事をしながら、ネットビジネスも続けています。
パート仕事やネットビジネスでお金を稼いで、引きこもりがちで生活に余裕がなく暗く不安な生活から完全脱出すべく、日々頑張っています。
PS: 掃除のパート仕事も、早いようで、もう少しで丸2年になります。
最近は、電脳せどりを少しずつ始めています。
自分でプログラミングをして、せどりのツールを作って使っています。
資金が少ないので、大して仕入れが出来ていませんが、少しずつでも増やしていく計画です。
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