引きこもりから仕事して脱出したい中年オジさんのブログ

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はじめまして!

このブログの管理人の「ひきこもり主」と申します。

20代前半から30代前半まで、10年以上の間、自宅ひきこもりしていました。

このブログでは、引きこもっていた頃の回想録や日々考えていること、また、引きこもり脱出についての情報などを書いていこうと思っています。

よろしくお願いします。

*このサイトには、アダルトな話題が入っています。不快に思われる方は、読まないで下さい。

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PS: 最近、ネットナンパにハマっています。

知り合った女性とラインで見せ合いまで行きました!

ライン作業のように、好みの女性をさばくスマホナンパ術、ネトナン大革命を実践しています。

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ひきこもり体質。日々進化?と苦闘の毎日

<更新日時> 11月01日(火) 00:38

お久しぶりです。

最近は、このブログの読者さんからのコメントやメールも、

共感や真剣な相談などが増えつつあります。

僕もブログを続けてきた甲斐があったなと感じています。

開設当初は、ここでアフィリエイトとかして稼ごうという意識が強かったのですが、

今では、自分の気持ちを表現したりする場になってきています。

もちろん、それを売りにして、ビジネスをしていければ、

その方が長続きするかもと思ったりもしていました。

でも、今は、アフィリもしていますが、日々の記録としての役割が大きくなってきているなと思います。

お金を稼ごう!と意気込んでいても、やがて疲れてきて、続かなくなるし、

日常ではなかなか言えない気持ちの部分を、このブログで書く事で、

気持ちの整理が出来たり、新たな発見があったりと、新鮮な気持ちを味わえたりするのが、ある種の楽しみにもなっています。

ブログの管理画面で、「コメントが入っています」のマークが入っていると、

コメント欄を開く前には、いつもドキドキしながら、時間をおいてから開いています。

批判的な内容が書かれているのではないか?

暴言がぐちゃぐちゃ入っているのではないか?

などなど、色々と考えてしまうのです。

正直疲れたりもします。

お金のためだけにやっているのなら、ある種、自分の身を削って、日常を書き綴るなんてしませんね。

自分の内側を公開することで、直接的ではなくても、人々に対して、自分を出していき、

本来の自分の居場所というものをつかみたいと、そう思ってもがいているのかもしれません。

リアルの生活では、緊張と恐怖や不安で、自分の感情というものを、ほぼ閉じてしまっている状態です。

もともと頭が固いというか、「〜でなくては!」「〜であらねばならない」みたいな、

義務感や責任感みたいな観念が強すぎて、パートのトイレ掃除の仕事でも、

人と話などせず、掃除だけに集中しようとしていて、

同じ施設の別の会社の人たちと会っても、挨拶するのが精一杯で、

集中しすぎて、多分とっつきにくい感じになっているのかもしれません。

雑談とかするのが、すごい苦手で、いつも必要最低限の会話にしています。

何を喋って良いのか分からず、話さないとまずい、話さないと嫌われる、話さないと仲間はずれにされて、仕事にあぶれる、死ぬしかないのか!

などと思うと、余計に緊張して、下手な事は言えない、でも、とにかく挨拶だけは死守しよう、と、自分の中では、けっこう必死でした。

はじめの1〜2年は、そういう暗い自分を見せないように、人と会えば、元気一杯の態度を装っていましたが、

作っている状態が続くと、逆に緊張や不安が増してきて、おかしくなりだして、気が遠くなったり、ふらふらしたりするようにもなっていました。

でも、長年の引きこもりからやっと抜け出し、パートですけど何とか外で仕事できるようになったのだから、簡単にはやめられない。

いや、辞めたら生活が苦しくなるし、もっと追いつめられた生活になる。

そう思うと、辞めるという選択肢は消えました。

この状況をなんとか切り抜けるしかない。

そんな毎日の中で、今年に入って、ネットで無料のヒーリングを受けるようになったのです。

それを受ける事で、頭の切り替えが出来るきっかけを得ることが出来たのです。

それからは、自分で、その感覚をたぐり寄せるような瞑想を日常的にするようになりました。

何回か前のブログ記事でも書きましたが、そういう感じの瞑想を続けることで、自分の固執した考えからくる恐怖や不安が和らぎ、

周りの気配を感じられるようになり、そよぐ風や空の気配も感じられるようになってきて、自分の感情というものを感じられるようにもなっていったのでした。

それから数ヶ月経った現在、随分とリラックスは進んでいる感じがしています。

ヒーリングを始めた当初でも、これを続ければ、一年以内には別人になれる!

と、そう実感を得ていたのですが、予想どおり、半年くらい経った今は、更なる変化を遂げている自分がいます。

まだまだ、遊園地の乗り物「バイキング」の大船が、勢い良く僕に迫ってくる幻覚に襲われることはあるのですが、

そういうものを、自分でコントロールできるようになってきています。

どうも幻覚という現象や、そこからくる不安というものは、色々と考え過ぎるところから来ているようなのです。

それが原因で、不安が高まり、これ以上は考え過ぎるなという体からの警告として、幻覚が出てきているように考えています。

それで、人に会ったりテレビを観て色んな人の考えに触れたりすることで、色々と考えてしまい、昼に起きてパート仕事に行ってから、

仕事終わりに運動公園に行って、2時間半ほどウオーキングしてから、家に帰ります。

家には母がいるのですが、母は悪い人ではないし、僕は嫌いではないのですが、それでも、やはり人と一緒に居る時間が増えると、すぐ疲れるんですね。

で、母はテレビが好きなので、僕も一緒にテレビを見ることになります。

ま、母と一緒にいる時は、一緒にテレビを見たり、何かを話したりするようにしています。

僕も安心する部分もあるし、母には寂しい思いをさせたくないとも思っています。

あ、それと、両親は最近になって離婚しました。

もう別居して何年も経っていますし、色々と生活上の不安もあったりで、母が踏み切れなかった時期もあったのですが、

もう父に対する人並みの愛情や、一緒に居なければいけない、というような気持ちはなくなってしまっています。

僕としては、母は十分頑張って来たし尽くしてきたんだから、もう自由になっていいんじゃないかと思っています。

話は戻りますが、それで、母が眠りについて僕が深夜のパソコン作業に入る時間までは、一日の中での緊張や不安が高まっていき、

もう俺この先どうなってしまうんだ?!と追いつめられかけてから、深夜のパソコン作業の時間になって、一人で静かな空間の中で、瞑想したりしながら気を鎮めてリラックスをある程度深めてから、パソコン作業に入る、という毎日を送って来ています。

そういう毎日が数ヶ月続いていました。

そんな中、一日の深夜の一人の時間になるまでは、「やっぱり俺は外では仕事続けられないんじゃないか?」「人と生活するなんて無理なんじゃないか?」「いつか発狂するんじゃないのか?」「PC作業も続けられなくなって、廃人みたいになって生活するしかないのか?」

などなど、自分の中での自問自答の葛藤を繰り返しながらも、毎日毎日、少しずつ少しずつ、考え過ぎる癖を外していって、不安な状態に入らないようにする訓練を進めてきたのです。

それで、ここ1・2ヶ月くらいでしょうか、職場で会う人とも、前ほど緊張したりかしこまったりせずに、リラックスした気持ちで挨拶できるようになってきています。

ただ、仕事場に着いてすぐは、緊張が高まり、気持ちがあっぷあっぷな状態になり、おかしくなりそうになるので、一旦トイレの個室に入り、少し気持ちを落ち着けてから、仕事を始めるようにしています。

ま、一人での作業なので、そこは少し融通を利かせて、やるようにしています。

掃除自体はちゃんとしていますよ 笑

職場で会う人との挨拶では、前よりはもっと素直に自分の感情を出せつつあります。

ただ、自然の感情というのも、仲良くしたいという感情もありますが、怖い・色々あったら後が面倒くさいという感情もあったりで、はっきり言って、やっぱり人と関わりたくないという気持ちの方が強いですね、今は。

というのもあって、向こうが気を利かしてか怖がってか分かりませんが(いや分かりたくないな)、小走りで避けられることもまあまああります。

商業施設内のトイレ掃除なので、売り子さんとか、女性が多いんですね。

なので、なかなかに接し方が難しいというか、男と違って、あまりかしこまったり、体育会系の縦社会的な建前の接し方をすると、向こうも気を使ってしまうようです。

かえって、素直な感情を出した方が、気さくで安心できて、向こうも感情を出しやすいようで、今まで挨拶しても避けられていた人からも挨拶かえってきたりと、反応が良いように感じています。

女性って、やっぱ感情の世界の住人なんだなと、実感させられます。

ただ、僕の現在の感情には、人間に対する割と暗いネガティブな負の感情がうごめいているようで、多分そのまま出したら、もっとギクシャクするかもしれないんです。

でも、前よりは肩の力を抜いて仕事が出来るようになってきているので、仕事への負担が減ってきて、仕事辞めたいという感情はだいぶ薄れてきています。

いずれは、もっと気楽な気持ちで人と接するようになれれば、いや、なれるだろうと感じています。

あとそれとですね、いつも行く運動公園では、人が多い距離が短い内周と人が少なく距離が長い外周があるのですが、僕はここ何年も人が少ない外周をずっと歩いていました。

一部は内周と一緒に重なってもいるコースなのですが、少しでも人と会いたくなかったし、会えなかったので、ずっと外周を歩いていたんです。

ですが、ここ1・2ヶ月は、内周のほうを歩く回数が増えてきているんですね。

なぜか、何となく、人がいるほうに心地良さを感じるようになってきている自分がいます。

コースは、進む方向が一応は規則で決まっているので、人と顔を合わせる必要がなく、常連と思われるランナーの人達とかもいるんですが、何年も見かけてはいるのですが、顔はちゃんと見たことはありません。

すれ違うことはあっても、顔は見ないようにしているので、いつも後ろ姿や声から顔を想像して、存在を認識しています。

後ろから挨拶されても、挨拶は返しますが、顔は見ません。

自分の顔も見せたくありません。

仲良くなりたいとも思いません。

何年もそれでやってきたのですが、最近は内周を歩くようになって、いつもは声をかけてこない人も、たまに声をかけてくるようになってきています。

なんなんだろうな、この感覚。

元々は内向的で学校嫌いだった自分でも、中学校まではなんとか友達付き合いできていたし、そんな不安や恐怖もなかった。

もちろん、幻覚とかはあったけど、対人関係での緊張や不安は、今ほどは強くなかった。

まだ人と自然に接するのが、かろうじて出来ていた頃のあの感覚。

ああ、いま俺は考え過ぎている、高校時代の疎外感やそれ以降の大学時代での人間関係、大学を中退せざるを得なくなって自宅ひきこもりを始めた経緯。

あの頃からずっと、後ろめたさを感じていた。

もっと頑張らなければ、もっと強い人間にならなければ、もっと社交的に、もっと立派な人間にならなければ、もっと能力がなければ、俺は社会で生きて行けないんだ。

もっと要領良くならなければ、またいじめられ、無視され陰口を言われ、集団の中で一人で縮こまりながら、おどけて面白くもないのにニヤニヤ笑いながら、自分を殺して生きていかなければ、必死で喰らいついていかなければ、この先の人生はないんだと思っていた。

ずっとそう思って、それが出来ない自分を責め続けていた。

そんな中、夜の運動も始めたっけ。

家族が夕食の時間でも、僕が唯一外に出られる夜の時間を選んで、運動に出ていた。

慣れない頃は、誰かが見ている、世間で噂される。

誰にも見られないよう、誰にも会わないよう、人の気配がすれば物陰に隠れたり、道を変えながら、そんな日々が続いていた。

田舎なので、割と真っ暗な道を、ひた走っていた。

そんな毎日を始める中、それまで夕食を家族と食べないで自分のしようとすることをする、そんなことやったことがなかったし、でも自分の道をどうにかしなきゃいけない。

反抗期もなかった自分に、初めて芽生えた自立への第一歩だったのかもしれないと、今はそう振り返っている。

風呂に入っているとき、そんな自分が両親に対して申し訳ないことをしている気持ちになって、「ごめんなさい」とつぶやいたこともあったなあ。

いま思えば、それで良かったんだよ、自分の道は自分で歩いていくもんだ、それが基本だ。それでいいんだ。

と、思いっきり、当時の自分の背中を押してやりたい気持ちになる。

もちろん、家族と夕食を食べない事が良いということじゃない。

でも、当時の僕には、そういうやり方しかできなかった。

とにかく、自分を信じて歩き出すしかなかった。

不器用な人間かもしれない。

あれから、もう20年近く経って、両親も老い、自分も中年になり、人生の折り返し地点に差しかかってきてしまった。

もう後がない、そう思うと、色々と苦しくなる。

パートの仕事の収入では、母も仕事に出てくれているから、それでなんとかもっている現状。

外の仕事を増やすことも、まだまだ苦しい状態。

だから、ネットでビジネスを成功できればと何年も挑戦し続けている。

両親が生きているうちに、親孝行したい。

ちゃんと一人立ちしている自分を見せてあげたい。

かと言って、もう今までのように、ただ頑張るってこともできなくなって、自分の限界も感じている。

これからは、気楽に自分のありのままの姿で生きれるようになっていければと思う。

ずっと、他の誰かになりたかった。

でも、なれなかった。

いや、なれなくて良かった。

ならなくて良かった。

自分なんだから。それで良かったんだ。

何も考えず、心と心で、人と接することが出来るようになれば、また新しい人生を送ることが出来るようになる。

今はそう感じている。

まだまだ、色々な負の感情が存在している。

自分の気づかない状態で鬱積している。

それらを少しずつ外していって、自分の今その瞬間に感じている感情を大切に見失わないように生きていきたい。

人と色々な感情を共有したり、励まし合いながら、そういう人生もありなのかもしれない。

今まで関わってきた人たちに感謝できるように、これから出会う人たちにも有り難さを感じられるように。

人生を大切に生きていきたい。

楽しく、やすらかに。