はじめまして!
このブログの管理人の「ひきこもり主」と申します。
20代前半から30代前半まで、10年以上の間、自宅ひきこもりしていました。
このブログでは、引きこもっていた頃の回想録や日々考えていること、また、引きこもり脱出についての情報などを書いていこうと思っています。
よろしくお願いします。
*このサイトには、アダルトな話題が入っています。不快に思われる方は、読まないで下さい。
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PS: 最近、ネットナンパにハマっています。
知り合った女性とラインで見せ合いまで行きました!
ライン作業のように、好みの女性をさばくスマホナンパ術、ネトナン大革命を実践しています。
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ひきこもり体質、感情を解放できる時期は来るか?!
遠隔ヒーリングを引き続き受けている
ひきこもり主です。
身体も心も、徐々に解放されていって、
楽になってきています。
そして、今までずっと、
色々なことを我慢して生きてきたんだなと感じるようになりました。
自分の素直な感情をちゃんと感じれなくなっていた。
頭で分析ばかりして、その時々の感情を見失っていた。
分析ばかりで感情を抑えていると、
頭部から内部の筋肉が硬直しだして、
首の辺りまで締め付けられるような圧迫感を感じるようになります。
そして、僕は、首を後ろから見ると、大きな背骨の始まりから二番目の骨が、
ボコッと右にズレているんですね。
これは、母が僕が中学生の頃に気づいていたらしく、
20歳辺りになってから教えてもらいました。
それまで僕は気づいていませんでした。
今思えば、その頃からすでに、
感情を抑圧する癖が付いていて、
心身に影響が起きていたのだと思います。
実際、中学生くらいになってから、
首の胸との付け根辺りが、
なんだかスッキリしない感じに思っていたことも思い出しました。
20代から、ひきこもり体質からの脱出を試みてきましたが、
40代を目前にして、やっと、やっと、
自分の目指していた場所の入口に近づいてきている気がしています。
あと、僕は、鼻が20代くらいから、
あまり臭わなくなっていて、
医者にも通ったこともありましたが、
神経に原因があると言われていて、
漢方薬をもらっていましたが、
効果が出ずに通院をやめていました。
精神の解放が進んで、
頭部まで抜けるような開放感が得られるくらいになれば、
おそらく鼻の機能も回復するのではと、
少し期待もしています。
まだまだ、首の違和感・頭部の強い締め付けなど、
取りきるまでに、どれだけの時間がかかるのか、
はっきりとは分かりませんが、
日々のワークは怠りません。
やっとここまで来たんですからね。
死んでも死に切れません。
これから生まれ変わって、
やりたかったことにまい進する人生を送っていきたいですね。
お金をたくさん稼いだり、
女性と遊んだり。
一般的な生活を送られている人には、
取るに足らない人生かもしれません。
でも、自分の人生ですから、
あきらめることはできません。
挑戦し続けるしかありません。
ひきこもり続ける人生なんてまっぴらです。
自分の人生なんですから、
誰に気兼ねすることなく、
思いっきり生きたいです。
もっと良い報告ができるように、
これからもなんとかやっていきます。
今日はこのへんで。
ではでは。
ひきこもり体質からの脱皮~飛翔
最近は、グレースライトヒーリングという精神療法?を受けています。
いらなくなった思考の癖や感情を手放して、
体のエネルギーの循環を回復していきます。
今年に入って、精神的に閉塞感が高まってどうにもならなくなっていた矢先に始めたのですが、
このヒーリングを受けるようになって、
強い不安や焦りは、自分の考えからくるものだということに気付き始めました。
心と体が楽になってきて、
不安を感じにくくなってきています。
子供の頃から感じていたなんとも説明しがたい漠然とした不安感を取り去ることができるかもしれません。
心と体が楽になっていくにしたがって、
今まで、すごく心と体にこわばりがあったんだなと気づくようになりました。
今までは、主に頭部から首や肩まで、ガッチガチに固まっていて、胸の息苦しさをずっと抱えていました。
首の頸椎の大きなボコッとした2番目の骨が、大きく右にずれているのですが、原因はやはり精神からくる筋肉のこわばりが原因なのではないかと思うようになりました。
そして、このこわばりが解けていくときに、なぜこんなになったのだろう?と思いを巡らせていると、
こわばっているときって、何かを堪えて我慢している時にするよなと感じました。
この苦しい気持ちってどこから来たのか、どういう時になるのか、記憶を辿ってみました。
すると、恐怖や不安を抱えているときのようでした。
その感覚は、子供の頃、父親が怒って怒鳴り散らしている時、ただ訳も分からずじっと縮こまって耐えるしかなかった頃、
極度の緊張と不安の中、ただただ耐えるしかなかったあの頃を思い出したのでした。
僕は大人しく慎重な性格で、内向的で依頼心の強い子供だったのもあり、親に反抗することもなく、反抗期もなく育ちました。
苦しかったときの感情を解放出来ないまま大人になってしまったのでした。
人に拒絶されることを極度に恐れて、嫌われないように無理して人に合わせて思春期を過ごしていました。
でも、高校生の頃、そんな自分に疑問を持つようになり、人と関わることが億劫になっていきました。
それが成人後の引きこもりの兆しでした。
今思うと、父が怒っていた時の恐怖や、人から怒られたり嫌われたりする恐怖から逃げようと必死だったのだと思います。
だから、人と関わることを極端に避けるようになり、ひきこもりに突入して行ったのだと。
性格的なものも原因の一つで、日常の色々な出来事を、細かく分析したり気にし過ぎて、どんどん気持ちが重くなっていく性質も影響していると思います。
20代は、対人恐怖や外に出るだけですごく疲れるような毎日を送っており、抜け出すために色々な本を読んだりもしました。
自己分析や性格分析などのスキルはついてきたのですが、考える癖がさらに強まったことで、感情を解放しにくくなっていたことも事実です。
ただ、呼吸法や運動を取り入れることで、少しずつ精神に余裕が生まれるようになり、自発的にマラソン大会に出たりなど、目的を持って人の中に入ることができるようになってきました。
それ以降、ジョギング中に心臓が止まったりとか、過覚醒という極度の精神緊張の症状に陥ったりとか、色々ありましたが、
徐々に心身を解放していき、外に出て仕事が出来るようになりました。
まだまだ、人と接するのはすごく疲れるので、接触が少ない仕事を選んでしています。
今回のヒーリングをやっていて、必要のなくなった考え方を手放していく作業をすることで、
今まで本当に色々な恐怖と不安に支配されていたんだなと気付くようになり、
色々なことに対して(特に人間関係)、余計な事ばかり考えていて、それがネックになって、
ひきこもり体質になっていたのだと思うようになりました。
なので、もしかすると、いつかは、色んな過去の体験を超えて、新たに人生をやり直せるんじゃないかと感じています。
人間関係に対する余計な恐怖や不安がなくなるとこで、世界がまったく違ったものになるような気がするのです。
お金稼ぎや女性関係など、思いっきり挑戦できるようになれるんではないかと思います。
生きてて良かったと思える何かを、この人生でつかめるような気がしています。
まだまだ、胸の詰まるような苦しさや首のズレや頭部や首・肩・背中のこわばりはありますが、
いつかきっと解放したいですね。
もう年も40代が近いですが、人生を楽しみ切りたいので、諦めたくないです。
皆さんに、もっと良い報告ができるようになれればと思います。
引きこもり体質、過去の記憶からの脱出とは?
日々、自分が何を求めて生きているのか、分からなくなるときがある。
辛く暗い過去の記憶に囚われて、
自分を見失うこともある。
そんな苦しくて苦しくて、
それがずっと続くような絶望感・不安感から逃れたくて、
色々ともがいてみるも、
またいつしか必死になりすぎて、
気持ちが疲れて、逃げ場がなくなり、
恐怖に囚われて、何もかもが暗黒に見えてくる。
馬鹿になれたらどれだけ楽か。
寝ている時が、唯一、そんな自分を忘れられる。
起きているときはずっと、
そんな自分から離れ
いや、もうこんな事を考えるのはやめにしよう。
ただ深刻になるだけだから、
書いていると少し気分が楽になるし、
冷静になれる。
そしたら、あまり考え過ぎる必要もなくなる。
自分はなにを求めているんだろう。
父親が怒り暴れ散らしている声が頭の中から離れなくなるときがある。
自分が責められているようで、苦しくなる。
子供の頃、父親が酒を飲んで、怒鳴り散らしてた頃、
家の中が暗かったのを思い出す。
僕の中の何とも言えない絶望感や無力感は、
そんな子供の頃の、どうすることも出来なかった自分やその環境からくる、
悔しさや無力感、不安感から来るものだったのかもしれない。
父親の愛情が欲しかったのか?
何なんだろう。
祖母が母をいじめ、母もそれなりに抵抗し喧嘩も絶えなかった。
父の母への暴力も、どうしても許すことができていない。
父も病気をして、今は老いてかつての勢いはなくなっているが、
自分の中の父は、まだ若かった頃の記憶で占められているようだ。
父親との和解への対話は、まだ始まったばかりだ。
いつか、その苦しかった暗い過去を、過去のものとして忘れることが出来るようになれるだろうか?
子供のような心の自由さを取り戻したい。
子供の頃の僕にとって、父親の存在が大きかったのは間違いない。
経済的にも完全な自立を果たせていない自分にとって、
心の中のその力関係は、まだ大きくは変わっていないのかもしれない。
子供の頃のそういう体験や、高校時代のいじめの体験など。
それらの記憶が、これからの人生の困難さをどうしても想像させてしまう。
もう終わりにしたいんだよ。
毎日毎日、そんなもの背負っていられないんだよ。
どうやって手放せばいい?
手放すと決めて、少しずつ歩んでいくしかないんだろうか。
楽しくありたい。
抜け出せるのか?この日常から
皆さん、どういう生活されていますか?
僕は母と二人で、母の実家で生活しています。
お互い、パートの収入で何とか食いつないでいます。
母がガンになって、がん保険の保険金が入り、
それで少し貯蓄が出来たので、パート収入とその貯蓄でなんとかやっています。
母は父と別居している身なので、父からの援助を受けることが難しいです。
僕も、父との関係が上手くいかずに、家を出ているので、援助の申し出は難しい状態です。
母も僕も、父に対して出来る限りのことはしてきたつもりですが、
父にとっては、それが当たり前で、家を出た僕らはダメな奴らだという風になっているようです。
ま、家のことはさておき、
経済的自立を果たせば、
そういう生活の悩みは一気に吹っ飛ぶわけで、
何とかして、お金を供給できるようにならなとと思うわけです。
対人関係に問題がなければ、外の仕事を増やすことも出来るのですが、
今のパートの仕事が限界かもしれません。
先日、市役所に用事があって行ったのですが、
人が多いというのと、役所独特の雰囲気が影響して、
すごく緊張して、話を聞いている途中で気分が悪くなり、
その場を離れました。
顔から血の気が引いてきて、倒れるかも?と思ったので、とっさに逃げるようにして、
役所の建物から出ました。
少し寝不足だったのも原因してるかもですが、
人と接していると、色々と神経を使ってしまって、
精神がおかしくなることがあります。
今のパートの仕事は、人と会うこともありますが、
特に難しい話などする必要がないし、
ほぼ一人で出来る作業ですがので、
なんとか続いています。
なので、今のところ、他の仕事は考えられない状態です。
精神的にも経済的にも、抜け出せる時が来ることを望んで生きています。
死んだら楽になるかもとか、苦しい時は考えることもありますが、
精神的に落ち着いているときは、やはり幸せを掴みたい実感したいと思います。
死んでも、その後に後悔が残るのなら、今の人生でやれるだけやらないと、苦しさは消えないでしょ?
何度もそういう葛藤をしながら生きています。
死んだ後のことなんて、ハッキリとは分からないですが、あるんじゃないかなと思っています。
生きても死んでも、幸せでいられるようになりたいです。
ひきこもり体質、グレイスライトヒーリングを受けて思ったこと
数日前から、グレイスライトヒーリングというものを受けています。
朝方、眠る前に、瞑想状態になりながら遠隔エネルギーを受けています。
瞑想は、20代全般に、朝起きてから10~60分やっていた習慣がありました。
思えば、30歳前くらいから、インターネットを始めて、
自宅に引きこもっていながらお金を稼ぐという行為に没頭するようになり、
瞑想する習慣をしなくなっていました。
常にお金を稼ぐということを優先して、
心の安定を図ることを二の次にしていたようです。
お蔭で、心身の調子を崩したりして、不安定になることもしばしばありました。
しかし、今回のヒーリングを受けるとともに、瞑想するという習慣が復活して、
再び、精神の透明な状態をキープすることが出来るようになれそうです。
長かったな、長年ひきこもっていた自分にとって、
お金を稼ぐということは大きな壁であった。
でも、それはそんなに難しいことではなかったのだと、
生活するということは、難しいことではなかったんだと、
気付き始めています。
僕は大金を掴む。
なぜかそう思うようになっています。
必要な分のお金は自然に入ってくるものなんだと、
だから心配はいらないんだと、
そう思えるようになってきています。
ひきこもりだからと言って、
卑屈になることはないです。
心がクリアであれば、
むやみに迷うこともなく、
自分の道を歩くことができるようになります。
不安になる必要もありません。
不安や恐怖というものは、
間違った知識によって、
作られていくものなのです。
心がクリアな状態になれば、
色々な気付きがあり、
生かされているのだと思えるようになります。
ひきこもりでも、誇りを持って生きるべきなのです。
僕はいずれ、パートの仕事を卒業して、自分の好きなことで食べていけるようになります。
そうすることで、世の中に自分の能力を還元できるようになっていくでしょう。
あなたは、すべてのものから自由です。
邪魔するものなど、本当は存在しないのです。
迷っている場合でもない。
心のままに生きてください!
また過覚醒になりかけてる?
最近、気分の調子が不安的になってきている。
パートの仕事での人間関係、
家に帰ったら母がいるし、
仕事終わりの運動公園でのウォーキングしている時が、
唯一の自分の時間かな?
でも、どこ行っても人がいるんだよね。
人と会うと、色々なことを思ってしまって、
すごく疲れる。
一人で生活したいが、そういうこともできない。
僕は、精神的に追い詰められると、
歩き回って気分を落ち着かせようとす習性がある。
けど、家だと母がそれを嫌がるし、
俺の気持ちのやり場がなくて、
おかしくなってしまいそうだ。
このままだと、
また自分を保てなくなるんじゃないかと不安である。
ひきこもり体質、残りの人生をどう使うのか?
ここ数日、睡眠不足による疲労の蓄積をきっかけに、
ネットビジネスへの意欲の低下や、
人生で本当にしたいことは何かなど、
何か、気分の落ち込みにハマっています。
パートの仕事もやめて一日中ぼーっとしていたい、
そんな気持ちになっています。
ネットビジネスで成功して、
経済的自立を果たすのが一番良いのですが、
何年も続けてきたネットビジネスへの希望も、
目標への道のりが、途方もなく遠い感じがして、
やめてしまいたい気持ちになってきています。
そういう時、ビジネス関係のメルマガで、
「1ミクロンでも良いから、何かやり遂げようと無理せずとも良いから、毎日少しずつでも進めて行こう」
という言葉を読んだり、
ツイッターアフィリで、高額案件が立て続けに入ったりと、
手を抜いているはずなのに、なぜかそういうことが起こってきています。
なんだか、励まされているようで、
やっぱり続けたほうが良いのかな?
今まで進んで来た道は間違っていなかったのかな?
などと思ったりもしています。
ドラマ「わたしを離さないで」の、
真実が恭子に会いに来たときのシーンや、
真実が自害する前に演説するシーンなどを、
パソコンで録画していて、
それを何度も見返したりしています。
「誰にでも、幸せを追求する権利があるのよ。」
「恭子、幸せになってね。なにか生まれてきて良かったって、そう思えるものを見つけて。」
と、真実は恭子に最後のメッセージを伝えて去って行きました。
僕はその言葉を、自分へのメッセージと思って、何度も自分に言い聞かせるように、繰り返し見ています。
小さい頃から内気で、支配的な友達にいじめられ続けたり、
高校の頃に集団のいじめを体験したり、
大学に入ってからは、それがきっかけで教室に入れなくなるほど人間不信になり、
大学中退し実家に戻り、10年以上のひきこもり生活をしていた過去。
実家では、封建的で支配的な父親や祖母の元、
自分の幸せを追求するなど考え及びもしない生活を送っていた。
父が脳梗塞なり、回復はしたが、その後遺症で感情コントロールができなくなり、
化け物のように暴れ狂い、家庭が崩壊し、結果、母も僕も家を出るようになり、
数年した現在、僕はひきこもりの生活を抜け出し、
まだ半人前ですが、パートの仕事に出ている状況です。
でも、自分の幸せ?楽しみ?
パートの仕事を始めかけた頃は、風俗に行って女性と触れ合ったりして、
それまで経験していなかったことをやったり、
新鮮で自由な感覚を得て、
それなりに充実していたのですが、
お金に余裕があるわけでもなし、
最近は風俗はいっていません。
給料が出たときに、
100円ショップで、好みのお菓子を、少しだけまとめて買って、
それを母にも分けて、数日かけて食べていくのが、まぁ楽しみと言ったら楽しみかなと思います。
現在、母親の実家で生活しているのですが、
最近まで、母親の高齢の母が生きていて、地区の自治会に出る必要がなかったのですが、
その祖母が亡くなり、4月から、自治会へ参加しなければならなくなってきています。
ただ、新しく入ってきた人には、役を回されるということと、
母は、そういうのがとても苦手だし、
かと言って、ひきこもり体質の僕が代わりに自治会に出るのも、
ものすごい負担があります。
地区の世話役的な役とか回されても、
僕のコミュニケーション能力では、とても無理です。
なので、ここを出ようかと動き出しているところです。
そういう地域活動とか活発でなく、
家賃も安いところを探しています。
もし見つからなければ、これも運命だと思ってここに残ると、
そう割り切るしかないと、母とそう話をしています。
コミュ障って、どこ行っても、窮屈な生活を強いられるんでしょうか?
学校・実家など、もっとコミュニケーション能力があれば、
もっと上手く渡り歩けたのに、
こんなに苦しむことなどなかったのに。
もっと、自分の幸せを、社会の中で、思い切り追求できただろうに。
人間関係で得られる楽しみを、もっと感じられただろうに。
もう40歳になるんだよ?
俺の人生って、一体なんなんだよ。
人に気を遣ってばかりで、かと言って、気が回るタイプでもなく、
ギクシャクしてばかりで、仲間外れにされたり悪口とか言われるのが怖くて、
とにかく人を避けながら生きている。
そんな生活も馬鹿馬鹿しく思えてきた。
皆けっこうずうずうしくやってるもんな、
要領よく、適度に遊んだりしながら、世間的な楽しみはできている。
そう思うと、今までなにやってきたんだよ、
何でそんなに、人のこと気にしてばかりいるんだよ、
お前の人生だろうが、もっとやりたいことやれよ!
そんな気持ちが湧いてくる。
失敗してもいい、
とにかく、やりたいことやってみたらどうだ?
ホント、失敗してもいいから!
失敗したらどうしよう?
傷つくのが怖いし、、
頑張って駄目だったら、
後でものすごく苦しくなるだろうな。
とか、色々と思うこともある。
あなたはどうですか?
僕は、もうちょっと思い切ったアクションを起こさないといけない時に来ているのかもしれません。
このまま停滞している場合でもないかな。
もっと、やりたいことガンガンやって、
掴みたい現実を、ほんのちょっとでもいい、
この手に掴むことができたなら、
けっこう感動できるんじゃないかな?
過去に囚われている時間はもったいないよね。
もう、やるしか方法はないんだよね?
あきらめないで、この先得られる楽しみを、
最大限に得られるように、
前を向いてやっていくしかない。
あなたのやりたいことって何ですか?
ありますよね?
それをまずはやってみませんか?
同じこの時代に生きて、
何かこう、人生の喜びを共有出来たら嬉しいですね。
男なら、お金や女性を獲得したい、
そういう気持ちはあると思います。
まずいらない人はいないでしょう。
一歩でもいい、
やりたいことに向けて、
何か行動を起こせるはず。
やってみようよ。
僕もやってみようと思います。
ブログ書いていると、
考えが整理されて、
気持ちも変わってくるのが不思議です。
なんだかんだで、ちょっと元気になってきました。
なんかやりましょうよ?
ひきこもり体質、日々の生活の中で見失っているもの
焦っているのか?
ここ数日、また睡眠不足が重なり、
精神的に追い詰められてきています。
時間があると、色々とやってみたくなり、
主にネットビジネスですが、
手を広げ過ぎたらいけないのに、
やってしまい、結局疲れて、
それでも結果が思うようについて来ず、
何でなんだーー!!
と、声にならない思いが、
胸の中で渦巻き、どうにかなりそうになります。
日々、そんな自分をコントロールしようと、
抑えていた気持ちが暴れ出し、
早く成功したい、早く楽になりたい、
早くお金のために追われる生活から逃れたい。
もうこの世に生まれるのはしんどい。
光の中に帰っていきたい。
などと、何か、やはり、
生き急いでいるのではないか?と自分の中で感じたりしています。
ただ、現状から抜け出したい、苦しみから抜け出したい、
そういう気持ちが、どうしようもなく高まり過ぎて、
体から破裂しそうな、爆発しそうな衝動にかられる時がある。
そんな、不安や焦りや、自分がどうかなるんじゃないかという恐怖の気持ちを眺めていると、
自分は、本当は何を求めているんだろうか?と思うようになりました。
成功したいという気持ちも、心底からあるものじゃないんではないかと。
結構な勢いでここ数カ月やってきたツイッターアフィリですが、
月数千円という収益をキープできるようになってきているんですが、
何でここまでしてやっているんだろうか?と思うようになってきています。
やばいな、こんな状態じゃ、また中途半端なもので終わってしまうと、
このままじゃだめだと、どうにかしなければと思うのですが、
あの時の新しい気持ちがすっかりと薄れていて、
どうにもならないことになってきています。
疲れているのかな?
俺って何がしたいのかな?
実家でひきこもっていた時、
暇なときにネットに繋がっていなかったPCをいじっていたときが楽しかったな。
ネットに繋がるようになって、アフィリに始まり、
経済的自立のために色々と、日々そのことばかりを、この十年間くらい模索してきていたな。
ビジネスのやり過ぎで体調崩すまでやって、
それでもやりかけたら止められず、
今もギリギリな感じでやっている。
ここ数日、そんな日常が何か違うんじゃないか?
これって、もっと他の生き方があるんじゃないか?
と、別の何かを求めるようになってきている。
たんに、他のことに飛びついて、気分を変えたいだけなのかもしれない。
そうやって、今まで、色々と半端な感じでやってきたこともあるし。
ただ、この中毒的なやり方に、限界が来ていることは確かだと思う。
PCの作業とかは、もともと好きだったから、色々と手を出してみたけど、
色々と一辺に詰め込み過ぎて、結局半端になってきた。
詰め込み過ぎると、負荷があがって、
自分の中では、謎の充実感が湧いてくるんだよな。
何かこう、やってる感?
やりがいというか、生きている実感なのか?
やっている時は、集中できるし、気分が悪いのとか薄れるし。
そういう中毒的なところがあるから、本当は疲れているのに、
休まないといけないのに、気持ちが虚しいからやってしまう。
やることで充実感を得たいからやる。
ただ、それが心からやりたかったことなのかというと、
おそらくそうではない。
そんな心身をむしばむようなこと、
本当は楽しいわけがない。
疲れがたまってきているかもな、
こういう時って、パートの仕事も、
続けられるのだろうか?などと、
もう駄目なんじゃないかと、
やっぱり俺には無理なんじゃないかと、
心の中で何度も思い、でも仕事辞めたら生きていけないじゃないか?
と、そういう不安や恐怖にさいなまれ、どうしようない気持ちになる。
人に会うってことが、苦手だし、
日々の生活の中で、ちょこっとちょこっと段々と、
処理できない気持ちのストレスが溜まってきて、
それがたまに爆発する。
もうそんなん苦しくて、
ギブアップしたいよ。
実は、ここ数日、ヒーリングについてネットで情報を得て、
自分の自然な心の姿で生活できることの素晴らしさに興味が湧いてきている。
ヒーリングを受け続けていれば、変われるんじゃないかとか、
そう思い始めている。
もちろん、お金はないので、お金がかからないところが、
たまたま見つかったんで、実践を始めています。
なにが必要なことなのか、自分にも明確なものは分からない。
騙されるんじゃないか?
結局お金を巻き上げられて終わりなんじゃないか?
などという気持ちもある。
ただ、行動を起こさずにはいられない。
休むことも必要だとも思うが。
ホントは、ひきこもってた時のように、
寝てたいときはずっと寝てたいけどね。
生活しなければならない強制力と、
色々と達成したいという欲もまだあるし、
あきらめきれないという現状がある。
どうにかならんのかこの自分。
そういえば、「わたしを離さないで」もうすぐ最終回ですね。
あのドラマ、すごくメッセージ性がありますよね。
短い人生の中で、幸せとは何か?を考えさせられるお話です。
自分の命も、あとどれだけあるのか分からない。
それはみんな同じだと思います。
そんな限られた時間の中で、どう生きるのか、
ドラマを見ていて、もっと充実した人生とはなんなのかを、
探し始めるようになってきています。
引きこもり体質、日々思うこと
日々の生活の中で、
色々と思うことがあります。
思っては消え思っては消えて、
ブログに書こうとした時には忘れている。
メモに残そうかと思ったりもするのですが、
逐一書くのがめんどくさい。
まず、思い出して、
思ったことを書き連ねてみようと思います。
・ドラマ「火村英夫の犯罪推理」を見て、自分にも主人公のような衝動があるのかも?と思ったこともある。(誰でも、感情の流れの中で、そういうこともあるかもしれまんね。趣味的に思ったり、執着するようになると、大変かもしれません。)
・仕事上、顔を合わせないといけない人がいて、嫌いとかではなくて、ただ、とにかく人に会うのが面倒な気持ちがあって、失礼がないように挨拶だけはするように心掛けているのですが、挨拶してくれなかったら?とか、嫌々対応されたら?とか、色々な思いが頭をよぎり、挨拶することすらできずに、自己嫌悪に陥ることがしばしばあります。
たまにそんな自分がすごく嫌になって、この先もこんな閉塞した状態が続くのかと思うと、不安で押し潰されそうになります。
そんな時は、ネットビジネスで稼げるようになって、脱サラすればいいじゃんか。
などと思い、気を紛らせたり、とにかく横になって眠るなりして、気持ちを切り替えるようにしています。
自分は一体何を求めて生きているのだろう、こんなに悩むのはなんのためなんだろう。
立派な人間になるため?
傷付け傷付けられるのが怖いから?
今さら、そんなことを悩んで考えても、
どうすることもままならないことかもしれないのに、
寝ても覚めても、頭から離れない。
そこからくるストレスは、自分の体に覆いかぶさり、
消え去ることはない。
いっそのこと死んでしまえば、
まっさらになれるのだろうかなどと思うこともある。
もっと高いコミュニケーションのスキルがあったなら、
もっと融通の利く人間であったなら、
色々と無いものねだりしてみたりするけど、
それで現実が変わるわけでもない。
結局は、自分に残されたもの、
スキルと欲望を活かすしかない。
自分は、どういう人生の終わり方をするのだろう。
思い切りやるしかないか?
最後には、そういう結論に至る。
ただし、やり過ぎないように。
つい、色々とやることを詰め込み過ぎて、
気付くとやり過ぎていて、
大きな不安感が襲ってきて、
身も心もガタガタになるから。
どこか麻薬ににているなと思う。
僕なんかがドラッグに手を出したら、
死ぬより苦しい地獄を見ることになるだろうな。
恐ろしくて、それがまた不安につながるのだが、
PCの作業や、スマホいじりだって、
すでにある程度の中毒になっていて、
やりすぎると後で不安になるけど、
やらないのも不安になる。
ま、やり過ぎない程度に、必要分の作業だけするのが正解なんだよ。
ただ、その加減が出来ず、そんなどうしようもない自分が怖い。
もちろん、仕事なんてしなくていい世界にいるのならば、
PC作業やスマホいじりなんて、俺には必要ないし、
3Dゲームでも作って、遊んで暮らしたいし。
海のキレイな南の島で、美味しいものを食べながら、
ゆっくり暮らせればなぁと思う。
仕事なんかしたくない、それがある種の本音。
そういう生活は、不可能ではないかもしれない。
仕組みをつくれば、なんとかなるかもしれない。
まったく仕事しなくて良いとかではなくても、
ネットを使えば、なんとかなるはず。
だから、毎日、睡眠時間を削ってまで、
PCをカタカタしたり、スマホをタップしたりしているんだもんな。
人が嫌いで、でも女性とは遊んでみたかったり、
自分の中で矛盾があって、常に葛藤している。
なんかこの重たいものを投げ出したい。
すべてリセットしたいな。
お金があれば、旅行行ったり、
風俗行ったりして気分転換できるのだけど。
(ま、風俗行かずに、ネットで出会いを見つけられるようになるのが一番だけど)
この労働地獄から抜け出したい。
たぶん、色々とやりかたが間違っているのだろう。
まだまだ、成功することに対して、
生活の仕方が洗練されていないのだろう。
そう思う。
光は見えているはずだから、
光の方へ向かっているはずだから、
歩いてみようじゃないか、
歩ける限り、やってみようじゃないか。
実は、今日は、精神薬を抜いてみました。
最近、お腹が太ってきて、
薬の影響もあるんじゃないかと思い、
減らしてみようかと思っています。
薬への精神依存も多少はあるかと思いますが、
ま、肥満も中年だということもあると思いますけど、
とりあえずやってみようかと思います。
医師には、薬を多少飲み過ぎても飲まなくても、
大丈夫なレベルの薬だからと言われているので、
特に問題はないと思いますが。
腹が出てくると、なんか気分がへこみますね。。
毎日10キロのウォーキングもしていますし、
食べたあと眠くなって眠る習慣が悪いのかもですね。
以前、精神不安がひどかったときに、
仮眠をとると、その間は色々考えずに不安が遠のくので、
食べたら横になってなにも考えずに眠るようにしていたのですが、
症状が治まってきている今でも、
その習慣は保っています。
医者からも、仮眠は精神安定に有効だと言われています。
(食べた後に寝るということについては確認を取っていませんけども)
とにかく、金を稼ぐことしか、
この閉塞した日常を抜け出す手立てはないのでしょう。
金を稼いで、女性との関係も克服し、南の島か日本のどこか自然豊かで静かで人間関係が忙しくないところで、
ゆっくりと暮らす。
そのためには、収入の自動化しかない。
やるしかない。
「わたしを離さないで」を観て思うこと
最近、ドラマで臓器売買?提供を扱った話があり、
興味深く観ている。
フィクションの話ではあるけども、
誰にでも同じように時間制限のある人生を、
どうやっていきがいを感じながら生きていくのか?
というようなテーマを扱った物語かなと思いながら観ています。
陽光学院という、将来、臓器提供をするためだけに人工的に生まれた人間を育てる学校がある。
主人公たちは、その学校で一般的にいう高校生くらいまでを、全寮制のようなところで過ごす。
何も知らない子供の頃から、
将来、自分たちの臓器を、外の人間に提供するための教育を受け続けながら、
そういう自分たちの人生に疑問や葛藤を抱きながら、
成長していく彼ら。
彼らの葛藤は、普通に生きていたら感じることのない異常な環境から生まれるものだ。
しかし、どのくらい人生に残り時間があるのか分からない状態で、
なんとかして、生きている意味や充実感を得ようともがく姿は、
共感できるものがある。
僕も、アラフォーになり、
自分の体の衰えを感じずにはいられない歳になっています。
親もどんどん衰えていって、
お互いに、確実に死に近づいているんだなと実感しています。
物語の中の彼らのように、
若くして死を近いものと感じ、
必死になって人生の価値を求めているところに、
自分の人生を重ねて観てしまうのです。
自分のやりたいことは何か?
無難に過ごす意味とは?
このままでいいのか?
人間関係に悩んでいる暇はあるのか?
悩んだって悩まなくたって、
人生の時間は刻一刻と過ぎていき、
必ず死が待っているんだぞ。
もっと、必死になって、自分のやりたいことを追求していいんじゃないか?
無難に生きる?
それってなんの意味があるの?
傷付け傷付けられる人生は嫌だ?
元々そんなことを目的に生きているわけではないし、
結果的にお互いを傷付け合うことになったとしても、
目的は、本来は、より幸せに生きたいということに変わりはないわけだし、
間違いだと気付けば、修正していけば良いことだし。
やりたいことを思い切りやったほうがいいんじゃないかと思い至った次第です。
このドラマ、引きこもり体質の自分に響くものがあった。
「わたしを離さないで」第五話
http://tver.jp/episode/12880149/
次回の第六話がもっと熱い感じがして、
すごく期待しているんだよな。
ハーフの真実って子の言動が、
やっぱ真剣さや切迫感があって良い。
人間、ああいう状況にあれば、
真実みたいに、思いっきりあがいてみるのもありなんじゃないかなと思う。
誰でも出来ることではない勇気のいることだけども。
流されているだけでは、
自分の歩きたい人生は歩けない。
歳食っても、自分の人生を諦めないで生きたい。
身体が衰えてくると、色々とへこんだり、気力が萎えることもある。
自分の体を見てると、老いていく自分にどうしようもない気持ちになることもある。
けども、なりふり構っている場合でもない。
中年ひきこもりのあなた、
今からでも全然遅くない!
挑戦しようよ!
挑戦し続けようよ!
俺も諦めない。
やるしかないからさ。
外の人間と接触するのが面倒だったり、
しんどかったりすることもある。
けど、今思うに、そんなこと、
本当はどうでも良いことなんだって。
楽しく生きるしか、
この人生を良くする方法はないんだから。